人は本来正しいのか、性善説・性悪説についての話

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哲学
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性善説・性悪説とは、昔中国で唱えられた人は生まれながらにして善い心を持つと言う説と、それに反対していや人は生まれながらにして悪だと唱えた説のことです。

未だに答えの見えないこの2つの説は一体どちらが正しいのでしょうか。

人は個人で接する場合は基本的に善い人で、都会だろうと田舎だろうと人は親切で優しいように思えます。

一方で人は群れを成すと悪い人になりがちで、ネット炎上などを見てもわかるように多数派であることがわかるとあっという間に相手をたたきのめしてしまいます。

いくらその人が悪いことをしたからと言って、暴力的な行いをして良いわけではありません。

時代と共に体罰がなくなっていったように、暴力は基本的にダメなことだとされています。

このように、人は「個」か「多」かで性質が異なり性善説が正しいようにも性悪説が正しいようにも思えます。

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結局の所どちらが正しいのかは誰にもわかりはしません。

しかし、性善説と性悪説は本来現代の善悪の基準とはちょっと違うようです。

現代の善悪の基準は、上記でも挙げたように「人に優しく親切にすることを善」「人に暴力を振るったり騙しいれたりすることを悪」と言う風な基準となっていますよね。

しかし、当時の善・悪はこのような意味ではなかったというのです。

性善説の人は生まれながらにして善い心を持った生き物だと言う説は、人は生まれながらにして勤勉で働き者だと言うことを意味し、性悪説は人は生まれながらにして悪い心を持った生き物で、怠け者で怠惰な心を持つ者であることを意味していたと言います。

ソースはどこで見たか忘れたので信憑性に欠けますが、本来の性善説・性悪説はこのような説であったと聞きます。

ただ結局どちらが正しいのかはわかりません。

人は働き者なのかもしれませんし、怠け者なのかもしれません。

それを表すように人は怠けるためにいろんなものを生み出し開発してきましたが、それらを生み出すために一生懸命働いてきました。

怠けるために真面目に働いてきたのです。

実に矛盾していますね。

私には性善説と性悪説のどちらが正しいのかはわかりませんが、唯一わかったのは人が矛盾した生き物だと言うことです。

好きだ思いながら嫌いだと言ったり、後で楽したいから今頑張ると言ったり、常に矛盾した考えや感情を持つ生き物なのです。

ですから性善説でも性悪説でもなく、あえて言うなら性矛盾説であると言えるのではないでしょうか。

そもそも善悪って人によっては善いことでも人にとっては悪いことだったりしますから。

結論、人は善でも悪でもなくただただ矛盾している。

と私は思います。
しょうもない話ではありますが、1つの意見として頭の片隅にでも置いといていただければ幸いです。

それでは今回はこれで以上です。
また次回お楽しみに。

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