現代人は女性でも男性でも痩せることに躍起になっているように見えます。
特に女性は年齢問わず美の追求を意識し、美魔女などと呼ばれるような驚くべきアンチエイジング効果を誇る方もすくなくありません。
確かに太っているよりかは痩せている方が見栄えはいいのかもしれませんが、最近のダイエット志向にはちょっと疑問を覚えます。
現代は、と言うか日本は食に困ることはほとんどありません。
貧乏過ぎて食べるのも困っている人がいないわけではありませんが、かなり少数だと言えます。
100年ちょっと前の日本はあまり食料も豊富なわけではなく、豊かな国だったわけでもなく、やむを得なく我慢するのならまだしも自ら進んで食べることを我慢するなんて考えられないことでしょう。
食べることができるのにあえて食べないなんて、もはや逆に贅沢といってもいいのではないでしょうか。
昔と比べて豊かな国になった日本では食べる物に困らないこともさることながら、栄養価の高い食品も手軽に食べられることができるようにもなりました。
栄養価が高いものは、昔ならかなり貴重で良いものだったはずですが、現代のようになんでも手に入りもので溢れた時代では、むしろ栄養過多になる可能性があり、味が悪ければ容赦なく排除される対象になっていきます。
その最たる例が「お米」などの炭水化物。
お米はその昔は年貢と言って今でいう税金のようなものとして国に納めるほど価値のあるものだったはずなのに、現代では定食屋に行って糖質制限ダイエットしているからと抜いてもらったり、残されてしまうようなものとなってしまいました。
大昔の税金は、今やただの残飯と化しているわけです。
誤解のないように言っておきますが、別にダイエットそのものや糖質制限事態を否定するつもりはありません。
お米がもともと好きじゃない人もいるでしょうし、好きでやっている人もいると思います。
sponsord link
しかし本当は食べたいのに我慢したり、無理をしてすることに疑問を覚えます。
今回は糖質制限ダイエットを例に挙げますが、炭水化物大好きな人が我慢して痩せたとしても、それは本当に幸せになれるのでしょうか。
好きなものを食べることは幸せなことですよね。
自ら好きなものを我慢し、幸せを放棄して得たものが本当に幸せなのか、それを捨ててまで得る価値のあるものなのか。
決して我慢しないで好き勝手しろと言っているわけではありません。
ただ私が思うには、好きなことを避けることで幸せをつかむことができるとはあまり考えられません。
太っていて、今のままではモテなくて結婚もできないから痩せたい。
だから糖質制限をすると言う人は多いかもしれません。
痩せることで素敵な方と結婚できたならちょっとぐらい我慢しても平気なのかもしれません。
しかし、糖質制限でしか痩せることができないのだとしたら、今後また太ってしまったときに糖質制限をするしかありません。
もともと炭水化物が好きじゃない人なら苦も無く続けることができるかもしれませんが、本当は好きなのに我慢しているのだとしたら、今後も我慢を続ける必要があるかもしれないのです。
ダイエットは、痩せたら終わりではないのです。
ボクサーなどのように、軽量の日だけ痩せてればいいと言うものではありません。
痩せること自体はあくまでもスタートラインで、そこからその体系をキープし続けることがダイエットの本当の目的であるはずです。
ですから辛いのを我慢するタイプのダイエットは失敗しやすいのです。
ダイエットって本来は幸せになるためにすることですよね。
それなのになぜ自ら不幸の道を選ぶのでしょうか。
そもそも本当に幸せになる=痩せることなんですか?
違うはずですよね。
痩せることの先に何かがあるから痩せたいと考えるはずです。
現代人はむやみやたらとダイエットをしようとしますが、ダイエットをする理由はなんなんですか?
その理由の先にある本当の理由はなんなんですか?
そこをおろそかにして気付かないようであれば、ダイエットをして痩せることができたとしても本来の目的にはたどり着けないかもしれません。
自分が目指すところを見誤って進んでいても、目的地にたどり着くことはできません。
ダイエットがしたいのか、ダイエットをしてなにかを得たいのか。
私には現代人はただダイエットをしているだけのように見えてしまいます。
現代人はなにゆえ痩せたいと思うのでしょうか。
みんなでガリガリになって何がしたいのでしょうか。
私は今のダイエットブームは異常だと思います。
あんまりやりすぎるといつか干からびますよ。
sponsord link
コメント