自分を変えたいと思った時点ですでに変わっている

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コラム
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よく引っ込み思案な自分を変えたいとか、ハッキリとものを言うことができない自分を変えたいなどとお悩みを持つ方がいます。

確かに元が引っ込み思案な人が急にガンガン前に出てリーダーとして引っ張って行ったり、根暗な人が急に明るく元気になることはほとんどありません。

その理由は自分の中でリミッターのようなものがあり、いきなり180度キャラが変わってしまったら変に思われるんじゃないかと言う思いから人は簡単には変わることができません。

しかし、急に変わることができずに自分を変えたいと思っているのに変えられないことに苦悩し、自分がダメなんじゃないかと苦しむ人がいますがそれは間違いです。

なぜなら今まで引っ込み思案な自分を変えようともしていなかったときよりも、変えようと考え始めたときとでは大きな変化を遂げたと言うことができるからです。

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例えば目の前にあるコップの縁が若干欠けていたとします。
縁が欠けていることに気がついていないときは、そのコップは欠けていないのと同じことです。

でも欠けていることに気がついたとき、そのコップは欠けたコップに認識が変わります。

このコップと同じことで、あなたが自分のことを引っ込み思案であると思わなければ、他人から何と思われようとも引っ込み思案ではありません。

しかし自分が引っ込み思案であることに気がついたとき、あなたは引っ込み思案であると言うことになるのです。

理解しがたいことではあると思いますが、あなたがそうと思わない限り違うのです。

自分を変えたいと思っていても変わらないとか、やってきたのに変わっていないことに悩み苦しむ人は誤解しています。

あなたはすでに変わっているのです。
それでも信じられないと言う人がいます。

そんなあなたは自分が変わったことに気がついていない、つまり自分が自分で変わっていないと決めつけているのです。

さっきのコップの縁が欠けていることと同じです。
自分がそれに気づき認めない限りあなたは変わりません。
本当は自分が変わろうとした時点で変わっているのにそれを認めません。

コップが欠けていることを認めなければそのコップは欠けていないのです。

人が何と言おうと自分がそう思わなければ変わったことにはならない。
変われないことに悩む人はただ自分がそれを認めることができていないだけなのです。

じゃあどうやったら変われると思いますか?
答えは単純です。

自分は変わったと認めればいいだけなのです。

この世はどんなに正しくても、どんなに間違っていても自分が正しいと思わなければ正しくありませんし自分が間違っていると思わなければ間違っていません。

全てはあなたが決めていることで、周りから受ける影響の中で取捨選択しているに過ぎないのです。

あなたが誰かにそれは間違っていると教えても、その人がそれを受け入れなければ正しいと思い込みます。

仮にあなたの言い分が正しくてもその人は自分でやってみない限りそれを認めません。

実際にやってみて、それが間違っていたと思わない限りやめることはありません。

友達が明らかに変な男に引っかかっているのを心配し、あの人は止めた方がいいよと言ったところで多くの場合聞く耳持ちません。

自分で失敗し、その意見が正しかったと思わない限りやめないでしょう。
人はそう言う風にできています。

結局誰に言われたかよりも、どう思うかの方が重要で、誰が何と言おうと自分が思った通りにしか人は動きません。

自分を変えられないことに悩む人もまた、誰かに変えてもらうことはできません。

自分が変わったことを認めなければ誰が何をしても何を言っても変わることはありません。

仮に外からの影響で変わったとしても、あくまでそれを認めて取り入れることを決断したのは自分です。

だから変われないことを悔やむことは何も難しい問題ではありません。
ただ単に自分が認めれば済むことなのですから。

人の悩みは外から見れば非常にしょうもないものです。
その悩みを大事に抱えているのはいつだって自分。

悩みをどうしたいのですか?
解決したいのですか?

それなら大事そうに抱えているその悩みから今すぐ手を離せばいいのです。

とはいえ悩んでいる人からすればそれができないから悩んでいるんだと思うでしょう。

ですが悩みが解決したとき改めて思い出してみてください。
確実に確かに手放せば良かっただけだったと思うことでしょう。

私も悩むことはありますが、悩みの根っこは案外しょうもないものですからそれに気づきさえすれば簡単です。

ただそれを認めればいいだけなのですから。

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